ビザンティン建築の建築方法は、基本的にはローマ建築のものと大差ない。各地の建築工房において、粗石造と煉瓦造を交互に使用する工法が確立されていたため、時代の推移に関わらずビザンティン建築の施工は常に安定していたようである。大まかに、シリア、パレスティナ、アルメニアやグルジアなどの切り石構造と、その他の地域の煉瓦・粗石構造とに分けられる。
ビザンティン建築において最もポピュラーなのは後者で、長方形の石材を片枠として積み上げ、その内部にモルタルと粗石を流し込み、次いで煉瓦を5段程度積層し、さらに石材を積み上げモルタルを流し込むことを繰り返すことによって外壁を形成した。ほとんどの場合、外壁には漆喰やモルタルが塗られなかったため、この石材と煉瓦の交互の配列は水平方向の縞模様となって、ビザンティン建築の外部の色彩的な特徴となっている。この建築方法は、初期の時代から11世紀頃にいたるまで全く変化しておらず、建築工法による建築物の時代特定を困難なものにしている。
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古代ローマで用いられたローマン・コンクリートは、ポッツォラーナによって均質な凝固性を示すが、ビザンティンで用いられるモルタルは焼石灰と砂によるもので、ローマン・コンクリートほどの耐久性を示していない。また、石灰によるモルタルは硬化した後に風雨にさらされると分解するため、構造体は石材などの外装を付与する必要性があった。さらに、壁の仕上げと一体化した煉瓦のモルタル目地は、建築コストを下げるために徐々に多量に用いられる傾向にあり、モルタル硬化時の乾燥収縮によって建築物の精度は低下した。
ハギア・ソフィア大聖堂のような大規模建築物にとっては、このような建物の歪みは致命的欠陥であり、事実、最初に架けられたドームは建築途中においてもすでに湾曲し、その結果、わずか20年で崩壊した。再建には、大聖堂そのものの建設と同程度の時間を要している。崩壊の原因はドームを支える支柱の傾斜が原因であったが、この垂直傾斜は今日でもそのまま遺っている(この強度不足は、バットレスを補強することによって解決されている)。
ここでは、全て現存するか、あるいは上部構造がほとんど残っている建築物を挙げている。ビザンティン建築を代表するものであっても、基礎構造しか残っていないもの、内部空間を把握できないものは対象としていない。かっこ内は、建築物のある都市、建設された年代。現〜と表示しているものは、現在の名称。
前期ビザンティン建築
ストゥディオス修道院のアギオス・ヨアンニス聖堂(イスタンブル 現イムラホール・ジャーミイ 450年頃完成)
アヒロピイトス聖堂(テッサロニキ 5世紀中期)
アギオス・デメトリオス聖堂(テッサロニキ 5世紀中期)
カラート・セマーン修道院建築群(カラート・セマーン 5世紀後期)
サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂(ラヴェンナ 490年建設)
サン・ヴィターレ聖堂(ラヴェンナ 526年起工・574年完成)
アギイ・セルギオス・カイ・バッコス聖堂(イスタンブル 現キュチュック・アヤソフィア・ジャーミイ 527年から536年頃)
ハギア・エイレーネー聖堂(イスタンブル 現アヤイリニ博物館 532年頃起工)
ハギア・ソフィア大聖堂(イスタンブル 現アヤソフィア博物館 532年起工・537年完成)
サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂(ラヴェンナ 534年頃起工)
ハギア・エカテリニ修道院(シナイ山 548年起工・565年完成)
カスル・イブン・ワルダン(シリア 561年起工・564年完成)
聖降誕聖堂(ベツレヘム 6世紀)
システルナ・バシリカ(イスタンブル 現イェレバタン・サライ 6世紀)
フィロクセノス貯水槽(イスタンブル 6世紀)
暗黒時代
スルブ・フリプシメ聖堂(エチミアジン 618年起工・630年完成)
本来名不詳 現グリーゴル聖堂(ズヴァルトノッツ 645年起工・660年完成)
ハギア・ソフィア聖堂(テッサロニキ 8世紀末期)
本来名不詳 現ファティエ・ジャーミイ(トリエ 8世紀末期)